言葉は取扱注意
経営者の方の想いや哲学を言語化し、ブランドの基礎を作るお仕事が特に好きです。
それ以外にも、その方の商品のアピールポイントを見つけ出してホームページやブログ、SNS投稿でどんなふうに表現したら、潜在顧客に届けられるかを工夫するのも大好物です。
でも、言葉は取扱注意とわたしは常々思っていて、言語化・翻訳・コピー作成などに伴う暴力性についても自覚があります。
想いを言葉にする
思考を言語化する
これはコミュニケーションにおいて重要なのはご存知のとおりです。
とりわけビジネスでSNSを活用する、ネット上にオウンドメディアを持って発信するのが普通のことになった昨今においては、ますます重視されています。
でも、気をつけないとならないのは、言語化する際には、言葉にならなかったものがある点です。
その単語、語句、表現では掬いとれず零してしまう感情・思考・事実が、避けようもなく生じることです。
子どものころ、喧嘩や親や教師から叱られたりしたことがきっかけで、感情が爆発した時のことを思い出して欲しいのですけども、
話を丁寧に聴いてくれる大人が「悔しかったんだね」「〇〇と思っていたんだね」と、子どもの荒れる感情を言葉にしてくれても「そうじゃないもん!!!」という気持ちが残ることってよくあったと思うのです。
思春期には「好き♡」という感情ひとつをとっても、「好き」という言葉にした途端に白々しく感じられたり、言い尽くせないもどかしさを感じたりしたと思うんですよね。
それらとりこぼしてしまったものや、言語に変換不可能なものをも大事にしたい。
だから言葉に落とし込む行為の暴力性に自覚的でありたいのです。